初めまして。スタッフMです。
商品の清掃や修復を主として、社内の何でも屋としてさまざまなことを担当させてもらっています。
これから印象に残った商品やお仕事の日常を紹介していきたいと思います。
第一回目となる今回は、普段のお仕事に使っている道具たちをご紹介いたします!
次の日録はこちら スタッフMの日録:2
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第一回目となる今回は、普段のお仕事に使っている道具たちをご紹介いたします!
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皆様こんにちは。スタッフのOです。
「甲を鎧ふ」シリーズ第6回は吉川元春の「総金桃象兜」をご紹介します。
前回ご紹介した毛利元就の次男である元春。
毛利家と同じ安芸(現在の広島県)の国人領主である吉川家の養子になった元春が吉川家の家督を継いだことで、毛利家は勢力を強めます。
また小早川家の家督を継いだ実弟・小早川隆景と共に毛利家の中国地方経略をサポート。
この体制は毛利両川(もうりりょうせん)と称され、現代にも伝えられています。
今回ご紹介する「総金桃象兜」。
まったく同じデザインのものは見つかりませんでしたが、
元春が宗形神社に奉納したと伝えられている「桃形兜」と鉢の形が、
前立は毛利家因縁の相手である尼子家に仕え、
元春とも戦った山中鹿助の「鉄錆十二間筋兜」に取り付けられたものと似ています。
▼参考リンク
・米子市 市指定文化財「桃形兜」
・吉川史料館「吉川広家展 展示品のご紹介 鉄錆十二間筋兜」
敵である鹿介の前立と似ているのはなぜでしょうか?
両者の間にはこんな話があります。
鹿介は城を包囲した元春に、主人・尼子勝久の命乞いをするも勝久が自害したことで
元春に自身と部下は見逃してもらうことになります。
また元春は敵ながら戦いぶりを認めており、毛利家の家臣として土地を与える約束まで。
しかし元春も知らなかった計画により鹿介は毛利家に殺害されてしまいます。
これを哀れんだ元春は鹿介が投降した際身に付けていた兜を家宝としました。
それが現在も吉川資料館でそれが保管されています。
加藤一冑はこの話を元に、現実では前立の失われている「桃形兜」に月の前立をつけたのかもしれません。
鉢は今までご紹介してきた兜に比べて素朴な印象を受けますが、
三日月のような大きな前立がかえって引き立っており、
全体のシンプルなデザインと相まって堂々としたおもむきを感じさせます。
威厳を感じさせつつも煌びやかな印象を与える鉢と錣(しころ)の金色は、
兜飾りとして家の中の風景にもよく映えるかと思います。
以上、簡単ながら「総金桃象兜」のご紹介でした。
全16回を予定していた「甲を鎧ふ」シリーズですが、誠に勝手ながら今回で終了となります。
お読みいただいた方々に心より感謝とお詫びを申し上げます。
吉川元春
戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した安芸国(現在の広島県)の武将。
1530年(陽暦)生まれ。
弟の小早川隆景とともに毛利家を支えつつ各地の戦に参戦し、毛利家の山陰地方経略に大きく貢献した。
勇猛な一方で学問も好んだとされており、書写した太平記は重要文化財に指定されている。
1586年、九州での戦に参加するも病を患い、陣中にて57歳で死去。
加藤一冑(2代目)
1933年生まれ、東京出身の甲冑師。
兜飾りを制作しつつ、実物の甲冑の模造や修理なども行っている。
国宝などに指定された甲冑の模造・修理で名を馳せた初代より技術を学び、1969年に「加藤一冑」を継承、現在に至る。
2009年に「東京都名誉都民」を受賞。
大阪中之島美術館で開催中の岡本太郎展とみんなのまち大阪の肖像(2)を見に行ってきました。
今年の春に開館した大阪中之島美術館。
開館当初は沢山の来館者でごった返していましたが、随分落ち着いてきた様子でした。
大人気の岡本太郎展もストレス無く、観覧できましたよ。
一番好きだった作品。
生涯、自分の作品をほとんど手放さなかったという岡本太郎のパリ時代の作品と推定される抽象絵画。
93年にパリのゴミ集積場に捨てられていたものをとあるデザイナーが発見し、拾って保管していたものだそうです。
パリ時代の作品は大戦でその殆どが焼失しているそうです。
詳しい経緯は不明ですが、残った僅かな作品が廃棄寸前から奇跡的に現代にまで生き残り、
幻の作品をゴミ集積場で手にするというのはとても夢のある話ですね。
丸と歪に曲がった線が太陽の塔に描かれているものに似ているなぁと思いました。
みんなのまち大阪の肖像(2)では大阪にゆかりのある作家の作品や企業の製品が展示されています。
こちらの家電コーナーがなかなか良かったです。
どれも個性的かつ細部にまで妥協せずに製造されていることが伝わってきます。当時の家電メーカーにとって夢のある時代だったんだなと感じます。
カラフルでポップなデザインは今見ても新鮮なデザイン。斬新でユーモアを感じる広告物も面白い。
古いお家に行くとレトロな小型家電はよく見かけますが、冷蔵庫や洗濯機はなかなか残っていないなぁと思いながら眺めました。
10月22日からはお隣の国立国際との共同企画ですべて未知の世界へーGUTAI 分化と統合が開催されます。
今から楽しみです。
大阪中之島美術館https://nakka-art.jp/
大阪中之島美術館 国立国際美術館 共同企画
すべて未知の世界へーGUTAI 分化と統合https://nakka-art.jp/exhibition-post/gutai-2022/
大阪市阿倍野区のお客様よりお譲りしていただきました。
梅文様の可愛らしい竹細工。
日本家屋の室内装飾に使われる竹丸窓と呼ばれるもので和風建築には欠かせない一品です。
長年、美術竹芸の職人をされていた方が残されたお品もの。恐らく注文が入った時のために作り置いていたものかと思います。
材質は煤竹。
煤竹は藁葺き屋根の家屋を取り壊す際に天井からとれる竹材。
囲炉裏の煤に燻され飴色に変化するのには凡そ100年から200年もの歳月が必要です。
近年は藁葺き屋根の減少に伴い、煤竹の量も減っているそうです。
色が少しだけ薄い部分は縄の結ばれていた部分です。
巻紙の新聞紙もなかなかの年代物。
「軟弱な言葉は似合わない」
なんの記事でしょうね。
昔はどこの家にもあった竹丸窓ですが、今では昔ながらの大工さんの建てる家か凝った人が建てる数寄屋建築でしか使われないものになっています。
買取りでお邪魔する古いお家ではよく見かける竹丸窓。
本来は土壁の中に埋め込むものですが、壁に掛けるだけでも絵になります。
障子の隙間から見える梅の花を上手く演出した面白い一品かと思います。
以上、簡単ではありますが煤竹の丸窓のご紹介でした。
ORIGENでは骨董品を中心に幅広いお品ものを取り扱いしております。
どんなお品ものでも拝見いたしますのでお気軽にご相談ください。
経験豊富な店主が細かく拝見いたします。
前回のブログ↓
本日の出張買取 in 近江八幡市
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弊社では近畿・中部・中国地方をはじめ、ご相談に応じて全国に出張いたします。
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滋賀県近江八幡市へ、出張買取りに行って参りました!
「祖父が残したものと父がずっと置いていた古い物を査定していただきたいです」とご相談くださいました。
骨董市で買ってきたお品ものから形見分けで受け継いだものといったものまで色々とお持ちという事でご自宅にお伺いさせていただきました。
昭和の掛時計や伊万里の大皿、古銭や切手に絵葉書などなど、色々とご準備くださいました。
こちらは曽祖母さまから受け継がれてきたという鼈甲の櫛と染付磁器の帯留。
金蒔絵で細密な図柄を施した髪道具。ひとつの櫛を作るのに一体どれほどの手間隙をかけているのだろうか…といつも思います。途方も無い時間をかけて作られたものを捨ててしまうのは忍びないですよね。
お父さまとお祖父さまが収集していたという古銭類。
価値のある古銭である一圓銀貨に貿易銀!
おぉっと思いきや…贋作でした…残念。
昔から贋作が多い古銭ですが、最近では3Dプリンターで複製されたものがあり、顕微鏡で見ないとわからないらしい…です。恐ろしい…気をつけなければ…
今回のものは本物の目方を満たさないよくある贋作でした。
こちらは指物師をしていたというお祖父さまの作られた小抽斗。
テープの跡がちょっと残念ですが、なんとかなるでしょう。
古いものですのでくたびれてはいますが、磨けばまだまだ使えます。
今回は大阪から少し距離のある滋賀県八幡市からのご依頼でした。
「遠いけど大丈夫ですか」とお気遣いありがとうございます。滋賀県内は全域出張エリアですので遠慮なくご相談くださいませ!
近畿一円出張費無料で参上いたします。
この度は数ある買取店の中から弊社にご依頼いただき、誠にありがとうございました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
ORIGENでは昭和の懐かしいものから貴重な時代ものまで幅広いお品ものを取り扱っております。
「処分するには忍びない」と思われましたらどんなものでも遠慮なくご連絡ください。
前回のブログ↓
今日の一品 献上の壺
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大阪市天王寺区のお客様よりお譲りいただきました。
「家にある古い物を処分するので…一度見にきてもらえますか…ガラクタしか無いかもしれませんが…」
とご依頼いただきお伺いさせていただきました。
昭和の記念品や贈答品でいっぱいの押入れの中を見させていただくと…奥の方にひときわ古いダンボール箱が埋れています。
引っ張り出して中を見てみると小さな壺が目に映りました。
ガラクタ(≒宝)に紛れてなんとも可愛らしい茶壺があるではありませんか。
鉄釉と白釉が掛け分けられ、肩には灰釉が少しだけ流し掛けられています。
そして三つの耳がついたお決まりの様式と言えば…
江戸時代に信楽で焼成された腰白壺です。
徳川家や諸大名など当時の有力者への献上茶を詰めるために御用御茶壺として用いられた一品。
それまでは焼締陶器であった信楽焼が施釉陶器となった最初期に焼成されたのが腰白壺だそうです。
どういった経緯で押入れに収まったのかはわかりませんが「多分、おじいちゃんの物?だと思います」との事でした。
ゴロゴロとあちこちを転がって辿り着いた押入れの中で随分と長い間眠っていた様です。
汚れたガラクタがひょっとするとお宝に化けるかもしれません。
以上、簡単ではありますが信楽焼の腰白壺のご紹介でした。
腰白壺
信楽焼
高150mm×口径59mm×胴径115mm×底径68mm
江戸時代後葉
大阪市天王寺区出押入れ収納出
Tea-leaf jar with iron and white glaze, KOSHIJIRO type Shigaraki Ware
Late Edo period
Found in a closet, Tennoji Ward, Osaka City
※KOSHIJIRO type = jars with white(JIRO) glaze on the lower part(KOSHI).
※It lost a wooden lid.
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皆様こんにちは。スタッフのOです。
「甲を鎧ふ」シリーズ第5回、今回は毛利元就の「烏帽子の兜」をご紹介します。
元就は戦国時代のさなか、安芸国(現在の広島県)の国人領主・毛利弘元の次男として生まれましたが、次々と親族が亡くなったことで長らく不遇の時を過ごします。
ですがその後、家督を継ぎ、並み居る武将を打ち倒したことで中国地方全体を領するほどの戦国大名に。
また、元就といえば協力・結束の重要性を3本の矢に例えた「三矢の訓(みつやのおしえ)」が有名ですが、これは元就が自身の子供たちに送った書状が元になってつくられた逸話だそうです。
▼参考リンク
・一般社団法人 三原観光協会 『三原観光navi』
今回ご紹介する「烏帽子の兜」。
このデザインが実在するのかわかりませんでしたが、
厳島神社に毛利元就が奉納したものとして『銀小札白糸威胴丸具足』というものがあり、その兜が烏帽子形をしています。
また、元就が活躍した戦国時代では、儀礼的な場において烏帽子が用いられていたそうです。
▼烏帽子に関する兜についてご紹介した過去のブログ記事
・鎧を甲ふ #2『長烏帽子形兜』
そして毛利家といえば一文字に三つ星紋ですが、
元就は合戦前に戦の縁起物の沢鷹(おもだか)にトンボが止まったのを見て勝利を確信、
本当に勝利しことから「長門沢鷹紋」をもう一つの家紋にしたという話があります。
トンボは前にしか進まないことなどから
戦への意気込みと重ねられ勝虫(かちむし)と呼ばれ好まれていたとのこと。
トンボが作品の意匠として取り入れられたのも納得です。
※長門…現在の山口県の北西部の辺りの旧国名。 長州。
▼参考リンク
・ホットライン教育ひろしま 銀小札白糸威胴丸具足
・レファレンス協同データベース 「トンボのことを「勝虫(かちむし、かつむし)」と呼ぶが、その由来などが知りたい。」
加藤一冑によるミニチュア作品は、金色のトンボや烏帽子形の鉢が煌びやかながらも水浅葱色の緒があることで落ち着いた雰囲気に。
また、錣(しころ)の黒と紐の少し深みのある茶色が兜全体の印象を引き締めているように感じられます。
以上、簡単ながら「烏帽子の兜」のご紹介でした。
次回は元就の子である吉川元春をご紹介できればと思います。
毛利元就
戦国時代に活躍した安芸国(現在の広島県)の武将。
1497年(陽暦)生まれ。
家督を継いだのち、「厳島の戦い」などの大戦を経験。
一代で中国地方の統一を果たし、広大な領土の支配体制を整えることに尽力した。
1571年、75歳で死去。
加藤一冑(2代目)
1933年生まれ、東京出身の甲冑師。
兜飾りを制作しつつ、実物の甲冑の模造や修理なども行っている。
国宝などに指定された甲冑の模造・修理で名を馳せた初代より技術を学び、1969年に「加藤一冑」を継承、現在に至る。
2009年に「東京都名誉都民」を受賞。
姫路市への出張査定帰りに天台宗別格本山である書寫山圓教寺に行ってまいりました。
何の気なしに目を向けた町の掲示板に貼られたチラシで
境内のお堂で現代美術家の展示が行われていると知り、
これは何かのお導きではないかと思い立ち寄ることにしました。
圓教寺のことを何も知らずに向かったため、
てっきり目的のお堂近くまで車で行けるかと思いましたが
目的地に着くとそこは山の麓。。。
圓教寺は山岳寺院で登山道を歩いて登るかロープウェイで上がるかしかないとのこと。。。
閉場の時間も迫っており観覧できるかも不安なため、どうしようか悩みましたが
これもきっと阿弥陀様のお導きと思いロープウェイに飛び乗りました。
ロープウェイ山上駅から更にバスに揺られて無事に山道に到着したものの境内は広く、
目的のお堂である常行三昧堂までは少し距離があります。
小走りで走りながら舞台造りの摩尼殿やお地蔵様をゆっくり見たいなぁ〜と思いつつ
原生林の木洩れ陽の中、先を急ぎました。
勾配のある参道を最後まで登り切ると大講堂(重要文化財)が現れます。建造は室町中期。
ゴリゴリの室町枓栱をじっくり眺めたいところでしたが
閉場まで時間がないので今回はお預け。
その大講堂の正面にある常行三昧堂(重要文化財)に鎮座されるのは木造阿弥陀如来坐像でございます。
何とか間に合いました。
圓教寺を創建した性空上人の弟子である安鎮の作。造立は1005年だそうです。
千年以上前のものとは驚き。お堂の中心に鎮座する像高3メートル近い阿弥陀如来様は圧巻です。
一切の無駄を排した簡素な設えがより存在感を際立たせているように思います。
阿弥陀様の周囲には現代美術家杉本博司氏の光学ガラス製の五輪塔が並びます。
全方位に配置される五輪塔は阿弥陀如来様をお守りする菩薩様の様にも思えます。
よく眼を凝らすと五輪塔の内部には遥か昔から変わらぬ景色が。。。。。。
御念仏を唱えながら阿弥陀様の周りを廻ればきっと悟りの境地へと到達することでしょう。
時を超えて衆生を極楽浄土へと誘うべく、阿弥陀様は今日も説法を続けられます。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…………………………….
圓教寺には他にも文化財や史跡が多数ありますので再訪したいと思います。
次回は修験者に成りたいと思います。。。。。。
『圓教寺×杉本博司 Five Elements 五輪塔 地 水 火 風 空』展は8月31日まで
開場時間が10-16時
詳しくは公式HPをご覧ください。
圓教寺公式サイト
小田原文化財団公式サイト
姫路市立美術館公式サイト
今年も開催されます、ORIGENのお盆休みのお知らせです🍆🥒
お盆休み中も電話・メール・LINEでのお問い合わせを受け付けております!
どうぞお気軽にご連絡ください。
通常営業は8/17(水)からとなります。
お休みの方も、ご多用の方も、どうぞご自愛ください。
「古くなった実家。空家になり、片付けないと。と思いながらも早5年。。。
思うように手が進まず、時間だけが過ぎてしまいました。見に行く度に傷んでいく実家。
今年こそ処分したいと考えています。ご相談させていただいてもいいでしょうか。。。」
毎年、ご相談件数が増えている空家整理に伴う出張買取りのご相談。
何から手をつけていいのか悩んでしまい、片付けが一向に進まず、
気づけば数年もの歳月が経過してしまった。
という方も少なくありません。
「全て廃棄してしまおうか、、でも誰か使ってくださる方がいるかも、、
売れるかな、、売れないか。。。勿体ないなぁ。。。」
築年数の古いお家であればあるほどに長い年月をかけて溜め込まれた品々が大量にあり、
親や祖父母の残したものの思い出を整理しながら思い入れのある品を探したり、
価値あるものを探したりしなければなりません。
ただでさえ忙しい日常生活に加え、
物を大切にしたいと考えておられる故に時間が掛かってしまう状況。
よく分かります。
実は長い時を経たものを短い時間できちんと仕分けするのはとても気を遣います。
じっくり見る余裕のない査定は、どうしても見落としなどしやすいため
ぜひゆとりがある状況が望ましいです。
ですが実際はみなさま色々なご事情があり、
時間が全くないという方からのご相談も少なくありません。
急な不動産売却やお引越しに伴う家財品の整理で1週間以内に査定してほしいといった案件から、
なんと「今日明日中に査定して全て引き取ってほしい」というタイトなご依頼も。
そのような場合でも遠慮なくご相談ください。
可能な限り迅速にお伺いして細かく丁寧な査定をさせていただきます。
・どこに相談していいのか判らず、時間を掛けて業者を探されている方
・急な依頼でどこの業者さんにも査定・引取りを断られてしまった方
・一度、別の業者さんに見てもらったけれど少ししか引き取ってもらえなかった方
など、同じ想いや経験をお持ちの方が沢山居られるかと思います。
ORIGENではご相談内容に応じて適切な査定ができるように努めておりますので、
いつでもお気軽にご相談ください。
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皆様こんにちは。スタッフのOです。
早くも第4回となった「甲を鎧ふ」シリーズ、
今回は織田信長の「紺糸威胴丸具足(こんいとおどしどうまるぐそく)」をご紹介します。
織田信秀の三男だった信長は、元服した5年後に父が死去。
家督を継ぎ、一族間の激しい勢力争いも蹴散らし尾張を統一。
その後も「桶狭間の戦い」や「長篠の戦い」など数々の大戦を経験し、
怒涛の勢いで領地を拡大、朝廷から高級の官職へ任命されるなどします。
そんな信長が着用したと伝えられている「紺糸威胴丸具足」。
威(おどし)は札(さね)と呼ばれるパーツに紐を通してつなぎ、甲冑をつくりあげること。
「紺糸」は藍染によるもの。
藍の持つ殺菌・防虫効果による実用的な面と、
また古くはこの色が「褐色(かちいろ)」と呼ばれたことから験担ぎとしても好まれたそう。
また、織田信長といえば南蛮由来の品々を身に付けた
洋風の出で立ちをイメージされる方が多いかと思いますが、
史料から確認できる情報などから、現在ではこの具足のように
日本では一般的なデザインの甲冑を身につけて戦っていたというのが定説のようです。
兜には織田家の家紋である木瓜紋と鍬形の前立が取り付けられています。
また、加藤一冑によるミニチュア作品には吹き返しにも木瓜紋の飾りが取り付けられています。
鉢は筋兜(すじかぶと)と呼ばれる形で、これは時代の変遷に伴って戦い方が変化したことにより
大型化した兜を軽量化するために工夫された形だそう。
実物の具足は、信長の次男を祖とする柏原織田家に伝来し、
信長を祀る京都の建勲神社(たけいさおじんじゃ)に奉納されたとのこと。
信長が命を落とした京都に具足が辿り着くのは、必然にも思えますね。
以上、簡単ながら「紺糸威胴丸具足」のご紹介でした。
次回は毛利元就をご紹介できればと思います。
▼参考リンク
・徳川美術館『夏季特別展 信長・秀吉・家康 -それぞれの天下取り-』
・京都国立博物館 コレクション 『紺色威胴丸 兜・大袖付』
・建勲神社 ホームページ
織田信長
戦国時代から安土桃山時代の尾張(現在の愛知県)の武将。
1534年(陽暦)生まれ。
様々な戦を経験し勢力を強めるも、当時の家臣である明智光秀の謀反により天下統一に届くことなく一生を終える。
1582年、京都にて死去。
加藤一冑(2代目)
1933年生まれ、東京出身の甲冑師。
兜飾りを制作しつつ、実物の甲冑の模造や修理なども行っている。
国宝などに指定された甲冑の模造・修理で名を馳せた初代より技術を学び、1969年に「加藤一冑」を継承、現在に至る。
2009年に「東京都名誉都民」を受賞。
大阪府堺市のお客様より、古い建具をお譲りいただきました。
草木が鬱蒼と生い茂るお庭が印象的なお屋敷です。
二百坪はあろうかと思われる敷地には茅葺屋根の母屋に増築された建物、土蔵、納屋が立ち並びます。
母屋は恐らく明治期に建てられたものかと思いますが、大正-昭和期に生活様式の変化に合わせた大規模な改修工事が行われているようです。
今回は空家になっていたご実家の処分を決断され、解体工事前にご依頼をいただきました。
家を建てた方から見れば孫や曽孫に当たる世代の方が受け継いだ古いお家の処分を決断する。そのようなケースが年々とても増えてきていると肌で感じております。
さて庭に面した縁側に取り付けられている建具はとても綺麗な比率で分割された硝子引戸。
正方形で分割しただけのものはよく見かけますが、バランス良く3種類の矩形で分割したものは比較的珍しいデザインです。恐らくお誂え品かと思われます。
欄間は磨りガラスと合わせた格子になっております。こちらも綺麗ですね。
折角なのでデザイン部に『モンドリアンのコンポジション風、大正ロマン色ガラス仕立て』と発注しました。笑
住まわれていた頃は庭木も綺麗に手入れされさぞかし綺麗なお庭だったことでしょう。草木の生命力がすごいですね。
以上、簡単ではありますが買取させていただいた大正期の硝子引戸のご紹介でした。
この度はご依頼いただき誠にありがとうございました。
この場をお借りして御礼申し上げます。
ORIGENでは骨董品を中心に古い時代のお品ものを幅広く探しております。
どんなお品ものでも拝見いたしますのでお気軽にご相談ください。
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どこかで撮影した古い家屋の格子戸
光を拡散する磨りガラスと組み合わさると形容しがたい美しさを放つ。
狂いなく連続する整列体を好物とする私にとっては見ているだけで意識を失ってしまいそうになる代物です…
長さの異なる材の組み合わせ方や本数でその家の職業がわかるという親子格子。
写真の組み方は呉服屋格子
美しさと実利を兼ねた合理的な格子戸でした。
ORIGENでは昭和初期以前の時代建具や照明器具、古家具などを探しております。古い家屋の解体をされる際などには是非ご一報ください。
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いつもBLOGをご覧いただきありがとうございます。
本日はちょっとしたお知らせです。
この度、ウェブサイトにオンラインショップを開設いたしました!
これまでは買取り・売却代行のみでしたが新たにオンライン販売を開始いたします。
(店舗での販売はしておりません)
出張査定で買取りさせていただいたお品ものを中心にバイヤーがセレクトしたものを掲載予定です。
和洋を問わず、時代物や作家物にちょっと変わった珍品までジャンルに捉われずセレクト出来ればと思います。
お譲りいただいたお品ものを次代へと繋げていくために地道にアップしていきますのでどうぞご期待くださいませ。
ガラス工芸家、岩田久利のガラス花瓶を3点アップしました。
小振りで綺麗なガラス一輪挿しです。
良い意味でらしくない作風のものであまり見かけない一品です。
詳しくはONLINE SHOPのページより是非ご覧ください。
皆様こんにちは。スタッフのOです。
「甲を鎧ふ」シリーズ第3回、今回ご紹介するのは豊臣秀吉ゆかりの武将、浅野長政の「龍頭の兜(たつがしらのかぶと)」です。
長政は実は、浅野家の実子ではなく、下級武士の家系である安井重継の子として生まれました。
母の兄である浅野長勝に男子がいなかったことから長勝の養女であるややと結婚、浅野家の跡取りとして迎えられることになります。
そして、この結婚が長政の人生における非常に大きな分岐点に。
ややには、同じく長勝の養女として迎えられていた姉妹がいました。
それが秀吉の妻として有名なねね(北政所)。
つまり、長政は秀吉と姻戚関係になったのです。
いわゆるコネがきっかけとなって出世街道を進み始めた長政ですが、武将として求められる能力も備えていました。
「賤ヶ岳の戦い」や「太閤検地」での活躍、さらには「五奉行」として豊臣政権における政治の要となるなど、特に行政面で手腕を発揮。
下級武士から一変し、甲斐(現在の山梨県)に城を持つ国持大名へと成長します。
そんな長政の兜のミニチュア作品として加藤一冑が制作したのが、今回ご紹介する「龍頭の兜」です。
実物の写真は残念ながら見つかりませんでしたが、明治30年に発行された『厳島名所しるべ』に「浅野家寄付 甲冑」としてよく似た兜が掲載されており、このように記されています。
冑大圓山三十八間星宿四方白兜鍪増田宗麿ノ作ニ■世ニ比類ナキ由折■二見タリ
※判読できなかった文字は■で表記しています。
これによると実物は「増田宗麻呂による作品で、38枚の鉄板(三十八間)を鋲(星宿)で繋いだ山形(大圓山)、前後左右には鍍金を施した板(四方白)のある兜」で、相当に素晴らしいようです。
図には浅野の家紋、丸に違い鷹の羽も見られます。
また、増田宗麻呂を調べたところ江戸時代に最も栄えた甲冑鍛冶屋の一つであり、現在も有名な明珍火箸・火箸風鈴に続く明珍鍛冶の先祖とされる増田宗徳の20代目の孫だそう。
ますます実物が気になります…。
ちなみに、2019年に広島県立美術館で開催された「入城400年記念 広島浅野家の至宝–よみがえる大名文化–」展にて似た兜が展示されていたようで、チラシに写真が掲載されています。
目録には
2 具足 紺糸威腹巻 浅野家十三代長訓所用 江戸時代 文久3年(1863)調製 広島 嚴島神社
と記載。
ぜひチラシを検索してみてくださいね。
▼参考リンク
・国立国会図書館デジタルコレクション 『厳島名所しるべ』
(コマ番号24:見開きの左上)
・新日本古典籍総合データベース 『明珍歴代族譜』
(5ページ目)
・国文学研究資料館 『名甲図鑑』
(12コマ目)
・『入城400年記念 広島浅野家の至宝–よみがえる大名文化–』展 目録
兜から今にも飛び立ちそうな龍の姿は、威風堂々。
鱗の一枚一枚までしっかりと形作られており、一冑の細やかな仕事が光ります。
前立を支える金具の緻密な装飾は、まさに兜「飾り」。
首を覆う錣(しころ)は金と朱色が色鮮やかなのもさることながら、紐を細やかに編み込んだ細工の整然さが見事です。
以上、簡単ながら「龍頭の兜」のご紹介でした。
次回は誰もが知る武将、織田信長をご紹介できればと思います。
浅野長政
安土桃山時代から江戸時代に活躍した尾張(現在の愛知県)の武将。
1547年(陽暦)生まれ。
豊臣秀吉に仕え、秀吉亡き後は徳川家康に仕える。
秀吉とは姻戚であり、五奉行として政治に携わる。
家康とは囲碁を通して親交があったとされ、「関ヶ原の戦い」の際は東軍として参戦した。
1611年、加藤清正と同年に江戸で死去。
加藤一冑(2代目)
1933年生まれ、東京出身の甲冑師。
兜飾りを制作しつつ、実物の甲冑の模造や修理なども行っている。
国宝などに指定された甲冑の模造・修理で名を馳せた初代より技術を学び、1969年に「加藤一冑」を継承、現在に至る。
2009年に「東京都名誉都民」を受賞。
大阪府東大阪市へ、出張買取りに行って参りました!
最近、何故か…ご依頼の多い東大阪市。
東大阪と言えばネジ工場などの町工場の多いイメージがありますが、生駒山を隔て古都奈良と大阪を結ぶ都市であり、古代からの歴史ある地域。
古い家屋や集落もまだまだ多く残されています。
今回、ご依頼くださったお家も生駒山の麓にある茅葺きと瓦屋根が素敵なとても古い建物でした。
一部ですが、お譲りいただいたお品ものをご紹介させていただきますね。
土蔵の中から買取り出来そうなものをお庭に引っ張り出しました。
土蔵内には文久や慶応などの江戸時代の年号の入った木箱が沢山あったのですが、なぜか見事に全て空っぽ。恐らくお祖父様の時代に一度、処分しておられるのだと思います。
残っていたものは明治期の器や昭和の懐かしいものなどなど。
ひとつひとつはそれほど高価なものではありませんが、明治期の印判手の手塩皿が纏まって出てきました。
図柄の種類が豊富でこのお皿の専門的なコレクターもいらっしゃいます。
それにしてもお皿はいつの時代も必要以上にありますね。我が家も御多分に洩れず。。。ですが。
壊れた古時計や傷んだ額縁、欠けた茶碗。。。虫に喰われた明治期の教科書などなど。
がらくたも
あひもちてみば
すずろなり
かちあるものが
うちいづるがあり
と某歌人が詠んだとかいないとか。。。
老朽化により、残念ながら近く解体されるそう。。。お呼びくださる時は大抵、解体前なので少し切ない気持ちになりますが日本家屋の維持管理は技術的にも経済的にも容易ではありません。
せめて記憶にだけは留めておきたいと思い、いつか何かに役立てる時がくると念じ、眼に焼き付けておいとまさせていただきました。
この度は数ある買取店の中から弊社にご依頼いただき、誠にありがとうございました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
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某所にて不思議な黒丸い物体を発見しました。
とても古い物のようです。
部分的に剥がれ落ちてしまった箇所を見ると下地は木のようです。非常に軽量に造られております。
表面はアジア地域に見られる漆(うるし)と呼ばれるものに似ているように思います。
6時の位置には丸輪と呼ばれる家紋のような紋章が金色で施されています。
少し角度を変えてみると円盤型であることがわかります。
全体に緩やかな山形となっており、外縁部が僅かに反り上がっております。
表面は凸凹しており、さながら漆塗りの伝統的な技法のひとつである叩き塗と呼ばれるもののようです。
直径430mmの円盤の裏面には金箔が施されています。
また裏面には綿の入った紐状のクッションのようなものが取り付けられており、ちょうど人間の顎の形状にフィットするような造りとなっております。
まるで時代劇で見たことのある被り物のよう。
はい正解です。陣笠です。
壁にかけてみると抽象的なオブジェのようにも見えます。
こちらは江戸時代のお品もので一文字陣笠と呼ばれるもの。
全体を変塗の一種である叩き塗で仕上げ、裏面は総金箔で仕上げられております。
余計な装飾が無く、なかなかにセンスの光る良い一品かと思います。
輪紋と言えば家紋の中で最もシンプルなもの。
様々な紋様と組み合わせることで変幻自在にその姿と意味を変異させます。
個人的な思い入れがあり、屋号のロゴマークなど会社に関連するものには必ず輪紋を取り入れています。
早速、デザイン部に依頼してロゴマークを加えてみました。
これをやってみたかっただけです笑
改めて漆塗りに関して調べてみると知らない事が沢山あり、ご紹介したかったのですが無駄な前置きのせいで長くなりましたのでまた機会を改めます。
と言うわけで今日はこれくらいにいたします。
以上、簡単ではありますが江戸時代の『丸輪紋一文字陣笠』のご紹介でした。
この度は長年大切に守られてきたお品ものをお譲りいただき誠にありがとうございました。
この場をお借りして御礼申し上げます。
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大阪市港区へ、出張買取りに行って参りました。
ご両親の住まれていたマンションの処分に伴い、弊社へとご依頼くださいました。
「近く、撤去業者様に部屋の中のものを全て片付けてもらうので、その前に一度見に来ていただけますか?」とご相談くださいました。
詳しくお話を聞かせていただきますと、ご両親が介護施設に入られてから時間をかけてコツコツと部屋の片付けをしながら一度も使っていない頂き物の贈答品や仕舞い込まれていた古めかしい骨董品と思われるものを整理し集めてくださったとのこと。
茶器や花瓶に食器や漆器。江戸時代の髪道具、鹿の角などなど色々なお品ものを捨てずに残しておいてくださいました。
小さなダンボール箱にはご両親が親から受け継いだと思われる特に古いものが数点保管されていました。
真鍮製の変わった形のもの。
何かと思ったら、、、
開閉式の燭台でした。
蝋燭を立てる部分が片口になっており、下部が溶けた蝋の受け皿となっています。
持ち運び用の携帯燭台でしょうか。
初めて見ました。変わった一品ですね。
今回お譲りいただいたものの中で一番グッときた香炉。
古銅製で胴部分に鎧や鞍などの馬具と裏側には武具が打ち出されています。
楕円形の火炉に端正な蕾形の鈕、猪目の煙孔が格調高い一品。時間をかけて育った金味も抜群ですね。
金箔が施されていたようで造られた当時は煌びやかな香炉だったのでしょう。
世代を越えて受け継がれ、守ってきていただいたお陰で出会えました。
次代へ大切にしてくださる方の元へと橋渡しさせていただきます。
この度は数ある買取店の中から弊社にご依頼いただき、誠にありがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
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皆様こんにちは。スタッフのOです。
計16点の鎧兜をご紹介する「甲を鎧ふ」シリーズ、第2回は前回取り上げた豊臣秀吉と縁深い武将の兜をご紹介いたします。
今回の兜は、「賤ヶ岳の七本槍」として名高い加藤清正の「長烏帽子形兜(ながえぼしなりかぶと)」です。
清正が生まれたのは、460年前の1562年。
豊臣秀吉と同じ尾張(現在の愛知県)の生まれであったことから、幼少より小姓(雑用係)として秀吉に仕えていました。
元服の際に「加藤虎之助清正」と改名した清正は、その勇ましい名前のごとく様々な戦で活躍し武功をあげてゆきます。
秀吉が天下人になるきっかけとなったともいえる「賤ヶ岳の戦い」では特に大きな働きを見せたことで、秀吉より多くの褒賞を受け取り「賤ヶ岳の七本槍」として広く名を知られるまでに。
大名として肥後(現在の熊本県)を治めるようになってからは治水や農業政策・熊本城の築城など、政治面でも活躍。
当時治めるのが難しいとされていた肥後を束ねあげ、後世において清正を祀るための「加藤神社」が創建されるほど、民衆からの支持が厚い武将だったそうです。
参考リンク:加藤神社
そんな清正が秀吉主導による朝鮮出兵の際、かぶっていたとされるのが今回ご紹介する「長烏帽子形兜」。
「烏帽子(えぼし)」とは、日本において古来から使用されてきた帽子のこと。
平安時代に成人男性の普段着として普及したものの、徐々に形式的なものへと変化していったことで室町時代末期には儀礼時以外ほとんど使われなくなったそうです。
そんな烏帽子をあえて模した理由はわかりませんが、当時の日本人男性の平均身長が155cmほどであったこと、実物の兜は高さが約75cmと大きいことから、当時の人に馴染みのあるデザインを取り入れつつ、戦場において自身をより強く、大きく見せようとしたのかもしれませんね。
実物は金属や漆で固められた紙でつくられているにも関わらず、まるで布製のように折れ曲がった形が印象的です。
加藤一冑によるミニチュア作品には、清正が家紋として用いていた「蛇目紋」と思われる丸い前立がついています。
もともとは武具の弓の弦を巻いて戦に携帯するための道具である弦巻に似ていることから「弦巻紋」と呼ばれ、武士としての力強さを表現する紋でしたが、
蛇の目にも似ていることから「蛇目紋」とも呼ばれ、当時蛇が神聖な生き物として考えられていたため護符としての意味も加わったと言われています。
実物の写真では前立はついていませんが、大きな兜を被ったり戦を重んずる家紋を用いていた加藤清正という人物の戦への強い意志が伝わってくるような作品ですね。
また、清正は熱心な日蓮宗の信者でもあったそうで、「兜の烏帽子部分に清正自身が書いた『南無妙法蓮華経』と書かれた紙を数百枚も貼り合わせた」という逸話が伝えられているんだとか。
参考リンク:Google Arts & Culture 徳川美術館
こちらの兜は徳川御三家のひとつである紀伊家(紀州徳川家)から尾張徳川家へと受け継がれ、現在では徳川美術館の所蔵品とのこと。
豊臣秀吉・徳川家の双方に仕えた加藤清正の兜が徳川家ゆかりの美術館へ…というのは、納得の来歴です。
参考リンク:徳川美術館『企画展示 天下統一-信長から家康へ』
以上、簡単ながら「長烏帽子形兜」のご紹介でした。
次回は清正と同じ時代に生き、秀吉とも関わりのあった武将をご紹介できればと思います。
加藤清正
安土桃山時代に活躍した尾張(現在の愛知県)出身の武将。
1562年7月25日(陽暦)生まれ。
長く豊臣秀吉に仕え、1583年に起きた「賤ヶ岳の戦い」での活躍により
肥後(現在の熊本県)を治める大名となる。
1611年、二条城にて徳川家康と豊臣秀頼の会見を見届けたのち、
帰国途中の船中で発病し、熊本城で逝去。
加藤一冑(2代目)
1933年生まれ、東京出身の甲冑師。
兜飾りを制作しつつ、実物の甲冑の模造や修理なども行っている。
国宝などに指定された甲冑の模造・修理で名を馳せた初代より技術を学び、
1969年に「加藤一冑」を継承、現在に至る。
2009年に「東京都名誉都民」を受賞。
大阪市中央区のお客様より買取りさせていただきました。
昭和を代表する版画家のひとりである関野凖一郎氏の木版画です。
立派な大屋根が格好の良い建物ですね。この佇まいは江戸期に建てられた庄屋さんの建物でしょうか。
二段構えの瓦屋根と整然と連続する面格子が美しいです。
一切の無駄を排し、合理的かつ機能的な様式美に到達している姿はその意匠面においてモダニズム建築を先取りしているとでも言えるのでしょうか??
今はマンション暮らしですが、いつかこんな建物に住めたらなぁと憧れます。
人の姿の無い風景ですが、開いた建具がここに住む人の気配だけを感じさせます。
作品の題名が書かれていないので何処の風景かわかりませんが実在する建物だと思いますので資料を探してみます。
場所が判れば実際に見に行きたいと思います。
以上、簡単ではありますが関野凖一郎氏の木版画のご紹介でした。
この度は買取りのご依頼をいただき誠にありがとうございました。
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お引越しや空家のお片付けの際には是非ご相談ください。
経験豊富な店主が細かく拝見いたします。
関野凖一郎
1914年10月23日〜1988年4月13日
青森県青森市出身の版画家・洋画家。
1932年:今純三に銅版画を学ぶ。
1939年:東京へ出て恩地孝四郎に師事し、新宿鈴木研究所において油絵を学ぶ。
1971年:青森県文化功労者として青森県褒賞を授与。
1975年:芸術選奨文部大臣賞を受賞。
近代日本版画史に関する多数の著作を残す。
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