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陶磁器|修復・直し|用語集 

2024.09.17 Category :

【きんつぎ|金継ぎ】

ホツやニュウ、割れや欠けを金で継いで直す手法。
欠けた部分を漆で成形し、金粉を蒔いて磨き上げる。金は酸化し難いため輝きが長期間保たれる。

伝統的な本漆金継ぎでは金粉を用いるが、比較的安価な真鍮粉で代用することもできる。
銅と亜鉛の合金である真鍮は金と異なり経年(酸化)による変色が発生しやすいものの、金よりもやや黄色味の強い華やかな仕上がりとなる。



【ぎんつぎ|銀継ぎ】

ホツやニュウ、割れや欠けを銀で継いで直す手法。
欠けた部分を天然の漆で成形し、銀粉を蒔いて磨き上げる。経年の変色でいぶし銀のような風合いへと変化していく。

伝統的な手法では銀粉を用いるが、比較的安価な錫粉で代用することもできる。
錫は他の金属粉よりも比較的粒子が大きく、柔らかみのある輝きとなる。また錫は銀よりも変色し難いため、銀色の輝きを保ちやすい。



【ともつぎ|共継ぎ】

共直しとも。直した部分が金色となる金継ぎに対し、共継ぎは破損箇所と色質感を似せて仕上げる。



【よびつぎ|呼継ぎ】

破片がない場合、似た風合いの陶片を割れた箇所の形に合わせ削り整えて継ぎ修復する手法。



【かすがいつぎ|鎹継ぎ】

鎹直しとも。中国由来の修復技術。ひび割れの横に直接小さな穴を開け、金属製の鎹を埋め込み留めたもの。



【うるしつぎ|漆継ぎ】

金継ぎなどの金属粉を使用した直しとは違い、表面を漆で仕上げる。器の色や状態に合わせ漆と顔料を混ぜ合わせ色漆を作る。金継ぎよりも強度に優れる。



【やきつぎ|焼継ぎ】

ガラス継・白玉継とも。江戸時代に普及した技術で、ガラス粉(白玉粉)を割れた陶器の断面に塗布し低温の窯で加熱し接着する。
漆を用いた金継などよりも手早く仕上げることができ、硬度・耐久性にも優れているが、安価な瀬戸物の大量生産が始まった明治以降徐々に衰退していった。



【まきえなおし|蒔絵直し】

金継ぎ(銀継ぎ)の後にさらに蒔絵を施し仕上げる手法。



【簡易金継ぎ】

漆のかわりに人工的に作られた合成の樹脂・溶剤・パテを用いる簡易手な手法。
伝統的な本漆金継ぎは漆が乾くまでに日数がかかるため数ヶ月〜長ければ半年ほどかかる場合もあるが、簡易金継ぎは1、2日ほどで仕上げることができる。
手軽ではあるものの本漆を用いる金継ぎなどと比べると長期間の耐久性に劣ることや、簡易金継ぎに用いられるパテや接着剤は食品衛生法の基準を満たさないものが多く、食器には適さないなどデメリットもある。



【むぎうるし|麦漆】

小麦粉(強力粉)・生漆・水を混ぜて練ったもの。
接着力に優れており、破片の面を継ぎ合わせる接着剤として用いる。

生漆(きうるし):原料の漆を濾過して不純物を取り除いたもの。



【こくそうるし|刻苧漆】

麦漆・木粉・地の粉※1・刻苧綿※2を混ぜて練ったもの。
欠けが大きい・破片が欠損している場合、刻苧漆を用いて盛り上げたり成形する。

※1地の粉(ぢのこ):焼いた珪藻土を粉末状にしたもの
※2刻苧綿(こくそわた):綿を粉末状にしたもの。



【さびうるし|錆漆】

砥の粉・水・生漆を混ぜて練ったもの。
主に小さな欠けやヒビを埋めるのに用いる。

砥の粉(とのこ):砥石にも用いられる岩石を粉末状にしたもの。地の粉よりも粒子が細かい。



陶磁器|特性・鑑賞|用語集 

2024.09.16 Category :

やきものニュウ


【ニュウ|入】

釉薬を越して胎土にまで通ったヒビ。裏表両方から確認できる状態をいう。



【カンニュウ|貫入】

釉薬の表面に現れた微細なひび割れ。ニュウと違い、釉薬の下にある。
窯から器を取り出し冷却する過程で、外気との温度差により素地と釉薬が縮むことで生ずる。
※基本的に傷ではなく、焼き物の個性とされる。



【ホツ】

後天的にできた数ミリ程度のごく小さな欠け。口縁や高台などに見られることが多い。



【カケ|欠け

ホツよりも大きく欠けてしまった状態。



【ソゲ|削げ

口縁・高台の表面の片側がめくれるように削れているもの。ソゲた部分の形状からハマグリとも呼ばれる。



【アタリ】

放射状のニュウ。当たった跡。壷の肩や胴などによく見られる。



【トリアシ|鳥足

見込みなどの中心から放射状に入ったニュウ。 鳥の足跡に見えることから鳥足と呼ばれる。



【ユウハゲ|釉剥げ】

後天的に釉薬の部分だけが剥がれ落ち、素地が露出してしまっている状態。



【カマキズ|窯疵】

成形や焼成の最中に窯のなかできた先天的な疵(キズ)を窯疵と呼ぶ。窯疵は基本的に傷物としては扱われず、焼き物の個性とされる。
例:貫入、窯ワレ、釉抜け など



【カマワレ|窯割れ】

焼成中、窯の中で割れが発生した状態。壷や茶碗の高台に見られる裂けは【底ワレ】と呼ばれる。



【ひっつき|くっつき】

窯の中で重なった他の作品がくっついた跡。



【メアト|目跡】

器を重ねて焼く際、地面と器・器同士がくっつかないよう間に置かれた粘土や砂の塊(トチン)の跡。見込みや高台にあらわれる。デザイン・装飾として意図的につけられる場合もある。



【トチン】

器を重ねて焼く際、地面と器・器同士がくっつかないよう間に置かれた粘土(胎土)や砂の塊。他にも貝・陶石などが用いられることがある。



【ユビアト|指跡】

成形した器に釉薬をかける際、器を持っていた指の部分だけ釉薬がかからず残った状態。



【フリモノ】

焼成中に器にふりかかった灰・異物などが付着したまま焼き上がった状態。



【ユウヌケ|釉抜け】

釉切れとも。釉薬が掛かからなかった箇所の素地が見えている状態。



【ユウメクレ|釉めくれ】

焼成中に釉薬が剥がれ落ち、素地が露出してしまった状態。



【ユウチジレ|釉縮れ】

素地の上の釉薬が縮むことでひび割れたり鱗のようになり、ひび割れの隙間から素地が見えている状態。



【フクレ|ブク】

異物や気泡を巻き込んだ状態で焼成され発生した膨らみや気泡跡。気泡がはじけてクレーターができることも。



【カセ】

釉薬特有の艶が風化により失われ、ざらざらとした艶のない質感になったり表面の釉薬が剥がれている状態。水中や土中に埋没していたために風化したものなど、要因は様々。
時代を経た古陶磁の証でもあり、基本的に傷ではなく古色の一種として扱われる。



スタッフ日録:野口小蘋#20

2024.09.13 Category :

野口小蘋買取大阪
岸和田市にお住まいのお客様より、野口小蘋の掛軸を買取させていただきました。

掛軸には桜や鬼百合、万年青、笹、愛らしい二羽の雀が繊細なタッチで描かれており、草花や動物の特徴が見事に表現されています。

開花時期や旬の季節が異なる草花が一つの絵の中に描かれている様子が大変興味深く、四君子(しくんし)を小蘋なりに捉えた作品でしょうか。

署名に明治辛丑孟春と記されていることや、雀が寒さを凌ぐ為に膨らんだ状態であることから明治34年の1月に完成したものと考えられます。

元来、南画家として知られる小蘋ですが、特に明治30年代以降は四条派や琳派といった日本の伝統絵画、さらには西洋の絵画の影響を受けており、作風に様々な要素を取り入れていることが伺えます。

小蘋は幼い頃から学問や芸術に強い興味を示し、16歳になると父と共に画の修行のため各地を巡遊し、その過程で様々な画人や名士たちと交流を深めました。

古人の作品や当時流行した絵画に触れる機会に恵まれ画技を磨いたとされています。
野口小蘋買取大阪
時代背景を考えると、女性が働き画業で活躍することは非常に困難でしたが、野口小蘋の作風は皇族や華族に愛顧され女性初の帝室技芸員を拝命するなど異例の成功を収めました。

また、幼い頃から各地を巡り画業で家計を支え家族を養うなど激動の人生だったと言えます。

生涯を通して幅広い画題を手がけた野口小蘋の作品は、各地の美術館に収蔵されているので、いつか他の作品を目にする機会に恵まれるかも知れません。

この度は大切なお品ものをお譲りいただき誠にありがとうございました。


【経歴】
弘化4年(1847年) 古医方松邨春岱の長女として大坂難波に生まれる
安政元年(1854年) 四条派の石垣東山に入門
文久2年(1862年) 画の修行のため父と北陸を巡遊(旅の途中で父が客死)
慶応元年(1865年) 母を養うため近江八幡へ遊歴し売画
慶応3年(1867年) 関西南画壇の重鎮である日根対山に師事し山水画、花鳥画を学ぶ
明治4年(1871年) 上京し画家として独立
明治6年(1873年) 皇后御寝殿に花卉図8点を手がける
明治10年(1877年) 近江商人・野口正章と結婚し翌年に娘の小蕙が生まれる
明治22年(1889年) 華族女学校画学嘱託教授を務める
明治35年(1902年) 恒久王妃昌子内親王や成久王妃房子内親王の御用掛を拝命する
明治37年(1904年) 女性初の帝室技芸員を拝命
明治40年(1907年) 文展審査員に選ばれる
大正6年(1917年) 71歳で死去


【代表作】
美人雅集図(明治5年)
富貴百齢図(明治25年)
春秋山水図屏風(明治28年)


前回のブログ↓
大阪府交野市で切子ガラス鉢を買取させていただきました!