甲を鎧ふ #6

2022.09.14 Category :

皆様こんにちは。スタッフのOです。
「甲を鎧ふ」シリーズ第6回は吉川元春の「総金桃象兜」をご紹介します。
骨董品出張買取 吉川元春 総金桃象兜
前回ご紹介した毛利元就の次男である元春。
毛利家と同じ安芸(現在の広島県)の国人領主である吉川家の養子になった元春が吉川家の家督を継いだことで、毛利家は勢力を強めます。
また小早川家の家督を継いだ実弟・小早川隆景と共に毛利家の中国地方経略をサポート。
この体制は毛利両川(もうりりょうせん)と称され、現代にも伝えられています。
骨董品出張買取 吉川元春 総金桃象兜2
今回ご紹介する「総金桃象兜」。
まったく同じデザインのものは見つかりませんでしたが、
元春が宗形神社に奉納したと伝えられている「桃形兜」と鉢の形が、
前立は毛利家因縁の相手である尼子家に仕え、
元春とも戦った山中鹿助の「鉄錆十二間筋兜」に取り付けられたものと似ています。

▼参考リンク
・米子市 市指定文化財「桃形兜」
・吉川史料館「吉川広家展 展示品のご紹介 鉄錆十二間筋兜」

骨董品出張買取 吉川元春 総金桃象兜 アップ
敵である鹿介の前立と似ているのはなぜでしょうか?
両者の間にはこんな話があります。

鹿介は城を包囲した元春に、主人・尼子勝久の命乞いをするも勝久が自害したことで
元春に自身と部下は見逃してもらうことになります。
また元春は敵ながら戦いぶりを認めており、毛利家の家臣として土地を与える約束まで。
しかし元春も知らなかった計画により鹿介は毛利家に殺害されてしまいます。
これを哀れんだ元春は鹿介が投降した際身に付けていた兜を家宝としました。
それが現在も吉川資料館でそれが保管されています。

加藤一冑はこの話を元に、現実では前立の失われている「桃形兜」に月の前立をつけたのかもしれません。

鉢は今までご紹介してきた兜に比べて素朴な印象を受けますが、
三日月のような大きな前立がかえって引き立っており、
全体のシンプルなデザインと相まって堂々としたおもむきを感じさせます。

威厳を感じさせつつも煌びやかな印象を与える鉢と錣(しころ)の金色は、
兜飾りとして家の中の風景にもよく映えるかと思います。
骨董品出張買取 吉川元春 総金桃象兜 バック
以上、簡単ながら「総金桃象兜」のご紹介でした。

全16回を予定していた「甲を鎧ふ」シリーズですが、誠に勝手ながら今回で終了となります。
お読みいただいた方々に心より感謝とお詫びを申し上げます。

吉川元春
戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した安芸国(現在の広島県)の武将。
1530年(陽暦)生まれ。
弟の小早川隆景とともに毛利家を支えつつ各地の戦に参戦し、毛利家の山陰地方経略に大きく貢献した。
勇猛な一方で学問も好んだとされており、書写した太平記は重要文化財に指定されている。
1586年、九州での戦に参加するも病を患い、陣中にて57歳で死去。

加藤一冑(2代目)
1933年生まれ、東京出身の甲冑師。
兜飾りを制作しつつ、実物の甲冑の模造や修理なども行っている。
国宝などに指定された甲冑の模造・修理で名を馳せた初代より技術を学び、1969年に「加藤一冑」を継承、現在に至る。
2009年に「東京都名誉都民」を受賞。

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