甲を鎧ふ #1『一の谷馬藺の兜』

2022.04.21 Category :

皆様はじめまして。スタッフのOです。
今回、初めてblogを書くこととなりました。
お客様からお譲りいただいたお品ものの中で個人的に気になったものなどを少しずつご紹介していこうかと思います。
よろしくお願いいたします。

まずは「甲を鎧ふ」という題で月に1点ずつ、精細につくり込まれたミニチュア版甲冑の置物をご紹介して参ります。
骨董品出張買取 豊臣秀吉 一の谷馬藺の兜
こちらのコレクションは大阪府高槻市のお客様が蒐集され、大切にしていらっしゃったものです。
お譲りいただいた50点の中から厳選した16点を、歴史の勉強も兼ねてひとつずつご紹介いたします。
しばしお付き合いくださいませ。

早速ですが、皆様は画像に写っている兜の持ち主が誰かご存知でしょうか?
有名な兜なのでどこかで見た形だな、と感じる方も多いかもしれません。

答えは…誰もが知る戦国時代の武将、「豊臣秀吉」です。
骨董品出張買取 豊臣秀吉 一の谷馬藺の兜2
豊臣秀吉といえば、日本史上類を見ないほどの出世を遂げたことで有名な人物。
天下統一の前には織田信長に仕え、様々な戦を経験してきたといいます。

秀吉が天下人となったきっかけともいえる、かつて織田信長の家臣仲間であった柴田勝家を破った「賤ヶ岳の戦い」は、ちょうど今から439年前の1583年4月にあったそうですよ。

秀吉が「豊臣」の前に「羽柴」の姓を名乗っていたことは有名ですが、なんとそのうちの「柴」の字は当時信長の重臣であった柴田勝家から取ったそう。
名前の由来にまでなった人物を打ち倒すその苛烈さがあったからこそ、戦国の世を統一できたのかもしれませんね。

秀吉の辞世の句には、戦国の世を荒々しく駆け抜けた武人の栄華と悲哀が見て取れます。

「つゆとをち つゆときへにしわがみかな 難波の事もゆめの又ゆめ」
(露のように生まれ露のように消えゆく我が身であることよ。大阪での栄華も我が人生も、まるで夢の中で見る夢のようであった。)

華やかで豪壮な安土桃山の時代に生きつつも、最期に自身を「露」とたとえた秀吉。
まさに戦乱の世の諸行無常・盛者必衰を思わせるような句ではないでしょうか。

そんな秀吉の兜として有名なのが、今回ご紹介する「一の谷馬藺の兜(いちのたにばりんのかぶと)」です。
骨董品出張買取 豊臣秀吉 一の谷馬藺の兜3
画像に写っているのは兜飾りなどで有名な加藤一冑によるミニチュア作品。
美しく放射状に配置された後立のバランスが見事です。

こちら、なんと鉢が手の平に乗るくらいのサイズなんですよ。
頭に被ることはできませんが、小さくても威風堂々とした様はまさに武具然としていますね。
骨董品出張買取 豊臣秀吉 一の谷馬藺の兜4
「馬藺(ばりん)」とは菖蒲の一種で、後立はその葉をかたどったもの。
単なる武具としてではなく、秀吉の怒涛ともいえる人生を彷彿とさせるような勢いを感じさせます。

実物は漆塗で黒く仕上げられた鉢のフチに金の蒔絵が施されており、秀吉のお洒落心が伝わってくるようです。

こちらの兜は三河(現在の愛知県)の藩士であった志賀家の祖が秀吉より賜ったものとして、現代まで伝えられてきたそう。
今日では東京国立博物館所蔵とのことです。

参考リンク:ColBase 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

以上、簡単ながら「一の谷馬藺の兜」のご紹介でした。

「自宅に本物の甲冑がある!」

そんな方は少ないかと思いますが…先祖の甲冑の処分に困っている、そんな場合は是非ご相談ください。

次回は豊臣秀吉とゆかりのある武将の作品をご紹介できればと思います。
よろしくお願いいたします。

豊臣秀吉
安土桃山時代に活躍した尾張(現在の名古屋市)出身の武将。
1537年2月6日生まれとされるが、出生の時期には諸説あり。
百姓の子として生を受けるも武人を志して独り立ちし、数々の戦功で足軽から太政大臣へと上り詰める。
1598年、62歳で逝去。

加藤一冑(2代目)
1933年生まれ、東京出身の甲冑師。
兜飾りを制作しつつ、実物の甲冑の模造や修理なども行っている。
国宝などに指定された甲冑の模造・修理で名を馳せた初代より技術を学び、1969年に「加藤一冑」を継承、現在に至る。
2009年に「東京都名誉都民」を受賞。

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