スタッフ日録:翡翠の簪#14

2024.06.19 Category :

簪買取大阪
大阪市天王寺区にお住まいのお客様より、美しい翡翠の簪をお譲りいただきました。

この簪は明治から大正時代頃のもので、非常に色目の美しい翡翠と精緻な唐草文が施された軸を組み合わせた上品なお品ものです。

また本作には現在採掘が禁止されている糸魚川翡翠が使われており、軸には18金が使用されてます。

滑らかな曲線に削り出された翡翠と緻密な彫金技術のどちらの技にも目を見張るものがあります。

相当に手間暇をかけて作られており、非常に高価なお品ものであったのだと思います。
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現代では和装は普段着から特別な日の装いへと変わり、簪を身に付ける機会もなくなりました。そのため、仕舞われたままになっている方も多いのではないでしょうか。

女性のお洒落としての髪飾りの文化は、いつから始まったのか私なりに調べてみました。

日本における簪の起源は縄文時代まで遡ることができますが、江戸時代中期に急速に発展したと言われています。

江戸時代初期の垂髪が主だった頃は、髪をまとめるための実用的なものが用いられていました。

しかし、中期に入ると遊女たちが黄楊の櫛や鯨の笄を使用し、大名の奥方など身分が高い女性たちは鼈甲の飾り櫛を愛用するようになりました。
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翡翠や珊瑚、瑪瑙、鼈甲といった天然素材から、金や銀などの貴金属、蒔絵や象嵌が施されたものまで、実に様々な材質やデザインがあります。

四季の風景や草花、物語の一場面、吉祥模様など職人たちはその技術を競い合い、時には存分に楽しんで制作に励んだと言われています。

簪は身分を問わず、当時の女性たちのお洒落に欠かせない必需品となり、珍しい意匠や豪華なものは話題となったことでしょう。
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明治時代に入り、西洋化が急速に進む中で江戸時代のような四季や物語を感じる華やかな装飾を施したものは少なくなり、通年で使用できるシンプルなデザインが増えたそうです。

同時に日本髪から洋髪への変化とともに、簪を身に付ける機会も次第に減りました。

今回お譲りいただいた簪も時代の流れとともに使われなくなり、長い間、着物箪笥に仕舞われていたものです。

希少な天然素材を用い、高い技術で作られたお品を次代に繋ぎたいと思います。

皆様も一度、箪笥の中に眠ったままの貴重な髪道具がないか、見てみてくださいね。

この度は大切なお品ものをお譲りいただき誠に有難うございました。


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スタッフ日録:KUMATORI MUSEUMに出店しています#13


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