岸和田市にお住まいのお客様より、野口小蘋の掛軸を買取させていただきました。
掛軸には桜や鬼百合、万年青、笹、愛らしい二羽の雀が繊細なタッチで描かれており、草花や動物の特徴が見事に表現されています。
開花時期や旬の季節が異なる草花が一つの絵の中に描かれている様子が大変興味深く、四君子(しくんし)を小蘋なりに捉えた作品でしょうか。
署名に明治辛丑孟春と記されていることや、雀が寒さを凌ぐ為に膨らんだ状態であることから明治34年の1月に完成したものと考えられます。
元来、南画家として知られる小蘋ですが、特に明治30年代以降は四条派や琳派といった日本の伝統絵画、さらには西洋の絵画の影響を受けており、作風に様々な要素を取り入れていることが伺えます。
小蘋は幼い頃から学問や芸術に強い興味を示し、16歳になると父と共に画の修行のため各地を巡遊し、その過程で様々な画人や名士たちと交流を深めました。
古人の作品や当時流行した絵画に触れる機会に恵まれ画技を磨いたとされています。
時代背景を考えると、女性が働き画業で活躍することは非常に困難でしたが、野口小蘋の作風は皇族や華族に愛顧され女性初の帝室技芸員を拝命するなど異例の成功を収めました。
また、幼い頃から各地を巡り画業で家計を支え家族を養うなど激動の人生だったと言えます。
生涯を通して幅広い画題を手がけた野口小蘋の作品は、各地の美術館に収蔵されているので、いつか他の作品を目にする機会に恵まれるかも知れません。
この度は大切なお品ものをお譲りいただき誠にありがとうございました。
【経歴】
弘化4年(1847年) 古医方松邨春岱の長女として大坂難波に生まれる
安政元年(1854年) 四条派の石垣東山に入門
文久2年(1862年) 画の修行のため父と北陸を巡遊(旅の途中で父が客死)
慶応元年(1865年) 母を養うため近江八幡へ遊歴し売画
慶応3年(1867年) 関西南画壇の重鎮である日根対山に師事し山水画、花鳥画を学ぶ
明治4年(1871年) 上京し画家として独立
明治6年(1873年) 皇后御寝殿に花卉図8点を手がける
明治10年(1877年) 近江商人・野口正章と結婚し翌年に娘の小蕙が生まれる
明治22年(1889年) 華族女学校画学嘱託教授を務める
明治35年(1902年) 恒久王妃昌子内親王や成久王妃房子内親王の御用掛を拝命する
明治37年(1904年) 女性初の帝室技芸員を拝命
明治40年(1907年) 文展審査員に選ばれる
大正6年(1917年) 71歳で死去
【代表作】
美人雅集図(明治5年)
富貴百齢図(明治25年)
春秋山水図屏風(明治28年)
前回のブログ↓
大阪府交野市で切子ガラス鉢を買取させていただきました!